2014 パスティーシュの課題

芸術評論2の最後の課題は、パスティーシュ(剽窃)です。
パスティーシュというのは、作風の模倣と解されています。だから、もちろん盗作でもないし、模写でもありません。ピカソがパスティーシュの大家であったことは、知っておくべきです。

課題は、著名な画家2人の作風をまねて、自画像を描きなさい、というものです。
絵画ですから、洋画の学生にアドバンテージがありますが、ある程度の画力があれば、あとは頭の使い方次第です。

全体の作品は、別のページにまとめますので、そちらを見てください。
下は、バスキアのパスティーシュを作った竹山に、ポロックのパスティーシュとした垣内の作品です。

214P027 竹山じーに バスキア.jpg   214t004垣内文子 ポロック.JPG

2014なりすまし課題

2014年度後期・芸術評論2のメイン課題である「なりすまし」を行いました。
今年も、けっこうがんばってくれました。
毎年、この課題は、出題する私を笑顔にさせてくれるものです。

毎年、洋画の学生がこちらをびっくりさせてくれるのですが、今年もよかったです。詳しくは、別のページにまとめるので、そちらを見てください。
さしあたって、清水と、竹山の作品を例示します。清水の作品は、ちょっと気味悪いのですが、ルドンの作品からです。これはCGではなく、段ボールを白で塗ったものに、体を隠して写真をとったものですが、実にうまく撮れています。竹山の作品は、エッシャーのだまし絵からですが、これも頭を使った作品で、銀色の部分はおたまだそうです。

清水ナナ 2.JPG   竹山じーに.jpg

2013 なりすまし課題

毎年恒例の芸術評論、「なりすまし」の課題です。
今年は、いつもと違って、コンピューターの使用を不可にしました。それもあって、地味な提出が多くなりましたが、それなりに考える素材としては有意義なものが集まりました。例年は、洋画の学生ががんばるのですが、今年は人文の学生に興味をひくものが多く見られました。
下は、金築直の作品で、マグリットの「恋人たち」です。右はオリジナルです。

kanatsuki_金築直‏.jpg kanatsuki_Magritte.jpg

アニソン作曲課題発表会

2年目にはいった、アニソンを作曲するという授業の作品をアップします。
うまくいっている曲をいくつか選びました。

この課題は人文の学生ががんばりました。

下のページに詳しくまとめましたので、見て下さい。
2012年度のアニソン課題のページ

dominoというフリー・ソフトのデータで提出してもらったので、私の方でこれをmp3に直しました。変換の過程でうまくいったいない場合もあります。いくつか、私がCubaseを使って、ミキシングし直しました。楽器の選択を変えたり、バッキングの楽器の音量をさげたりしました。ただ、間違った音はそのままにしています。
自分のイメージと違うという人は、自分でミキシングし直して、mp3データで私の方まで送って下さい。

2012 芸術評論 パスティーシュという課題

2012年度最後の課題を出しました。
高階秀爾「ピカソ 剽窃の論理」という評論にインスパイアされ、この課題をだしました。
誰かの作風を模倣し、自画像を描けというものです。
はじめは画家としたのですが、漫画家も範囲にいれました。これは失敗でした。マンガというのは、速記の手段であって、美術としてはバリエーションにとぼしい表現方法であることを再認識させられました。マンガは、複雑な表現をのせられないツールなのです。蔑視しているのではなく、そういう媒体・ツールなのです。だから大量生産が可能なのです。マンガで絵のうまい・へたを論ずることはできず、違う要素を評価の対象にしなければならないことを再認識させられました。

今回、私の題意にそった解答をしてくれた学生(のひとり)として、アニメーション・コースの長瀬の作品をあげておきます。ピカソとモディリアーニの作風を真似て、なおかつ、自分の顔を表現するという趣旨にそった解答でした。他にも、腕のたつ学生の作品はありました。リンクをはったこちらのページを見て、楽しんで下さい。
014_1.jpg   014_2.jpg

ラーメン評論 2012

211m026.JPG 今年も恒例の「ラーメン評論」の課題をだしました。
内容は、インスタント・ラーメンを5種類食べて、評論を書くというものです。

世の中には、「食べる」という事に関して、無数に情報があふれています。テレビをつければ、朝から深夜まで果てしなく、お笑い芸人のワンパターンの「うま~い」が続きます。

しかし、食に関して有用な議論は皆無といってもいいくらいです。
この講義では、美術や音楽など感覚的な世界を、評論という議論のレベルに落とし込もうとしています。そこで、食についても練習をしてみることが可能なはずです。
誰もが食べ、安価なインスタント・ラーメンを例にとって、感覚を論理に落としてみましょう。

このリンクに示した例は、その第一段階です。
この後で、添削・修正をかけていく素材となるものです。

2012 芸術評論 最優秀作品

毎年やっている芸術評論の「なりすまし」という課題です。
昨年は、優秀な作品を提出した学生が、洋画に集まっていました。そのなかで、松井冬子の幽霊画のなりすましをやった小澤瑶‏が、私の選んだ最優秀作品でした。
今年は、洋画だけではなく、多方面の専攻の学生に面白い作品が登場しました。
そのなかで最優秀作品は、立体の隈元がピカソの「泣く女」をなりすました作品です。

212s009 隈元一貴.jpgのサムネール画像  212s009泣く女.jpgのサムネール画像

隈元は、普通の学生がやるようにphotoshopで自分の顔をはめこむことをせず(そういうワザは使えないので)、愚直に手作業で二次元の絵画を三次元で再現してみました。すなわち、顔や手に絵の具で色を塗り、紙に描いた紙を折りたたんで作り、きわめつきはコンタクトレンズにシールを貼って自分の目にはめるという「狂気」を実践しました。なんとおそろしい。

ただ、その狂気じみた思い切りに感心しただけではありません。私がもっとも注目したのは、口元の紙で書いてクチャクチャに折った紙の部分です。キュービズムは三次元をある意味で2.5次元にしました。シュールレアリズム期のピカソはその延長線にあります。次元を減らしたものを、もとの三次元にもどしたらどうなるか、私はそんなおもしろさを感じました。

隈元クンの破天荒さに乾杯!

現代音楽論 アニソン作曲課題の提出 5

アニメのop曲を作曲するという課題です。


作曲:車戸亮太
この曲は、midiファイルなので、曲を再生するには右のリンクをクリックしてください。 20915023.mid

この人も作曲の経験者です。中間のスケッチ発表のときのやりとりにもありましたが、意図的に「ずっこけた」進行を考えたようです。

三度の下行や、最後の六度の重音の上行はそういう意味では成功しています。(ただ、これは定番かも)
創作的なのは主要なフレーズです。提出されたものがmidiファイルなので、勝手に楽譜にしました。

20915023.gif










結構技巧的なフレーズかもしれません。
臨時記号がいっぱいあって難しそうですが、メロディーは単純です。ハ長調に直すとシドレミをいったりきたりしているだけです。しかし、一音だけ凶暴にスケールにない音がまじっています。楽譜に赤い丸をつけたGの音です。ノンダイアトニックな音なので違和感があるとともに、伴奏のF#とオクターブ離れていますがぶつかります。さらにその前にもG#という半音間隔の音(青い丸をつけた音)があるので、よけいに耳を刺激します。ただ、ここでイレギュラーなのは青い丸の2つの音ではなく、わざとはずしたGの一音だけです。
ピアノで弾いてみたのですが、ゆっくりだと音はそれほどぶつかっていません。
しかし、midiのようなテンポがイメージの早さなら、前の音が残って聞こえるので、濁って聞こえます。
機転をきかせるのは赤のGだけにして、伴奏での音のぶつかりを慎重に処理した方がいいと私は思います。

現代音楽論 アニソン作曲課題の提出 4

アニメのop曲を作曲する課題です。


作曲:東竜太

この人は曲作りを日常的にやっている人です。
奇妙なのですが、作曲の経験者の人のほうが、変な曲を作りますね。いい悪いの問題ではありません。よくいえば「個性的」というのでしょうか。この曲にはちょっとコメントしにくいです。
構成的にはおかしなところはありません。3つのフレーズを2回ずつ繰り返しています。おそらく、私が問題に感じるとすれば、その3つが全く同じベースのフレーズにのっていることでしょう。この人はベースを弾く人なのですが、そちらに力点が置かれていて、全体を引っぱっているように感じますが、いかがでしょうか。

現代音楽論 アニソン作曲課題の提出 3

アニメのop曲を作曲するという課題です。


作曲:原野紗緒里

この人はちょっと別格です。
学生の提出物ではなく、作品として見ないといけないでしょう。 歌は本人でしょう。すごくうまいですね。
私の感想です。出だしの旋律がサビでも繰り返されます。ぶつけるような歌い方は非常に特徴的で(こんな歌手いたけど...誰だっけ)、「おっ」という感じです。この出だしは大変に印象的なのですが、ここからエンディングへ行こうという時の盛り上がりが弱くなったように思います。ですから、後半の音域が高いままですよね。メロディー・ラインも見えにくくなっています。歌っていてもつらくないですか。
音は外していないです。でも、外していないのですが、本来あなたのもっている声ののびがつぶれてしまったので、残念に感じています。
でも、全体に声は高音ですごくきれいです。低音が印象的になるともっと高音部が印象的になると思います。

私が作曲を習っていたイントラですが、ちょっと面白いことを言っていました。
ミスチルの桜井のうまいところは、サビでいいメロディーを思いついたら、「あえて」かなり凡庸なAメロをつけて落差をつける。そこのバランスがうまい、と。
この人以外にも、オリジナル曲を作ったことのある「経験者」の学生が何人かいます。結構、共通しているのが、Aメロ、Bメロ、サビのキャラクターの違いに乏しいところです。ですから、変わった曲にはなっているんですが、いわゆる普通にはやっているポピュラー曲のようにすんなり耳に入ってはこないんだと思います。
実力者ですから、これからも作り続けてください。






学生作品 Vermeer

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かの有名な、といってよいでしょう。フェルメールの『真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)』 (1665)です。
今回の課題でもこの二人だけではなく、さらに何人かこの絵を選択しました。たしかに、2010年は京都市美術館で大規模なフェルメール展も開催されましたが、それが理由ではないでしょう。

たしかに、1600年代という四百年前に描かれた絵です。描かれた人もそれほどの美人とは思えません。目が変な風に飛び出ているように思いませんか。
正直に言えば私は、フェルメールを少々苦手としています。

11.png 今回の演習で、『手紙を読む青衣の女』を取り上げた人がいました。
私はそこで空気感を指摘しました。ですが、この絵は背景が完全にゼロなので空気も存在しませんから、それも指摘できません。つまり、なりすましの実写についても、何もコメントを見つけられないのです。
にもかかわらず、毎年多くの学生がこの絵を選ぶのを不思議に思っています。皮肉ではなく単純に、私がわからないのです。

現代音楽論 アニソン作曲課題の提出 2

アニメのop曲を作曲するという課題です。


作曲:物袋成美
ちょっと、できすぎかな。最初の8小節のイントロくらいは、「やったな、こいつ」って感じでニコニコしてしましました。
このメロディーは中間発表で聞いたのを思い出しました。素直に発展させたのでしょう。メロディーはシンプルでよいです。
なぜそんなにできがよくなったかというと、途中で入るピアノや後半のシンセのオブリガードの存在ですね。すごく立体感があります。イントロの早い動きの部分もそうです。
でも、素人が作ったんだなと少し安心できるのが、Aメロのバッキングです。

いいイントロができたのに、Aメロが始まったとたんに、なぜコードが単純にボーン、ボーンって、スケッチの消し忘れみたいに棒弾きになっているんでしょう。これを違うリズム形に変えたら、異様に完成度があがったでしょうね。ただ、そこまで完成度を高くしたら、本当にお前が作ったの 、って疑われるかもしれません。

スタディのときは、最初の分散和音が延々と続いていて、うっとうしいと指摘したと思います。それをメロディーが始まるとすぐにカットしてくれたようです。いい感じになりました。

でも、よくできました。完全に三重丸です。







学生作品 Da Vinci 「洗礼者ヨハネ」

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ダ・ヴィンチの遺作といわれる「洗礼者ヨハネ」である。

この絵についてコメントされる典型的なポイントが「両性具有」である。絵の主人公は、バプテスマのヨハネという。イエスに洗礼をさずけ、戯曲「サロメ」でも知られる、ヘロデ王に首を斬られて死んだ聖人である。

町を捨て野山にくらしたことから、ターミネーターのように筋骨隆々に描かれることが多いが、この絵では女のように妖艶に描かれ、このポーズでも左手は乳房を隠すようにも見える。ちなみに、指を指している先は「天」だと言われる。

さて、なりすましとの比較であるが、ダ・ヴィンチのデッサンが正確であることがまずわかる。右の学生に比べて、頭が小さいのだがこれは日本人と西洋人のプロポーションの違いである。腕の比率についても、不自然なところはない。あえていえば、首から肩の先までの長さがかなり長いが、これが不自然な程度かは私は結論を留保したい。

やはりここで注目すべきなのは、このミステリアスなスマイルである。何に対してほほえんでいるのか。


現代音楽論 アニソン作曲課題の提出 1

アニメのop曲を作曲するという課題です。
作曲:山下遼
必須要件ではなかったですが、歌詞もボカロに入れてくれました。



一つ二つ気がついたことを書きます。

まず、最後にぶちっと切れるのは、最近のアニソンでもしばしば見る手法です。でも、タダ切れるのではなく、テレビでも余韻の響きが残るように感じます。かなり技術的な話です。私もどうやるのか知りません。しかし、ただ音がなくなるのではないことはわかります。

次に、音列ですが、意識的に和風の場所があります。四七抜きになっているかどうかはわかりません。その滑稽な雰囲気が少々中途半端に感じました。途中のチュートリアルでも似たような指摘をしたと思いますが、「へうげもの」を私は思い受けべるのですが、ここではその方向に向かっているのかいなか、ちょっと不徹底なような気がしました。

サビで転調しているように聞こえました(違うかもしれません)。これはよいと思いますが、エンディングに向けてのもりあがりの流れがもっと強くあればよかったと感じました。

楽譜を見ていたらもっと細かいところまで指摘ができるのですが、聞いた限りの印象でコメントしました。

学生作品 Magritte "le Fils de l'homme"

21118253.jpg20世紀のシュールレアリズムの画家、René Magritte, 1898 -1967の作品"Le fils de l'homme"、日本語では「人の子」と言われる作品である。

マグリットの自画像とされる。
「人の子」というのはキリスト教に関係している。もちろん、リンゴは旧約聖書の物語を暗示する。
顔のまんなかに浮遊するリンゴによって顔は隠れているが、全部見えないわけではなく、かすかに目がのぞいている。

この学生のなりすまし写真にはとくに工夫がないように見えるが、このリンゴはCGの合成ではなく、実際のリンゴにハシをつきさしてくわえているそうである。なかなか歯が痛くなりそうな話だ。

この人は、顔が隠れた自画像の意図をどう解釈したのだろうか。ただ、オリジナルの絵の解釈にも、定説はない。

現代音楽論 アニソン提出

アニソン提出については、こんな感じで結果発表します。ちなみに、この曲は私が練習で作ったものです。NHKの朝の連続テレビ小説のオープニング曲みたいな、ごく普通の曲を考えてみました。



学生作品 Domenico Feti 「改悛のマグダラのマリア」

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大学一年生の選択としては、ちょっとマニアックな選択である。この絵は、"The Repentant St Mary Magdalene", 1647-21,Galleria Doria-Pamphili (Rome) 、日本語にすると「改悛のマグダラのマリア」という。

画家のFetiは、17世紀のイタリア、バロックの時代の人で、34才という短い人生であったため、作品数は多くない。しかし、重要な画家に位置づけられている。

絵の主人公は、マグダラのマリアである。そして、左手に抱えているのはドクロである。ドクロは、マグダラを示すマリアを示すアトリビュートである。

マグダラのマリアは新約聖書のなかで、謎多い登場人物である。売春婦でリンチにあって殺されそうになっているところに、イエスが来て彼女を救い、これをきっかけにイエスに従った人物というのがよく知られている物語である。そして、イエスの弟子たる12使徒が全員男性のなかで、唯一マグダラのマリアだけが名前を記されている女性である。
映画「ダ・ビンチ・コード」では、マグダラのマリアが実はイエスの妻であったという、珍説のオチがついているくらい、いろいろな尾ひれがついている。

なりすましの写真だが、まじめな洋画の学生らしく、実に原画に近い出来になっている。写真と絵画がほとんど一致する点から見ても、Fetiのデッサンは普通に正確にできているといえる。
ただ、どうだろうか。
私にはおもしろみが欠けるように思える。
まじめにその通りなのだが、この学生も、Fetiもまじめにその通りに世界を写し取っている。これまで、いくつかの普通に見えて実は普通でない絵画を見てきた。絵画が写真とは別のおもしろさを持っているのはそんな部分にあるのかもしれない。もちろん、この絵が描かれたのは17世紀である。絵画は写真の代わりであった。
時代が違うのである。


学生作品 Norman Rockwell "The Gossip"

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Norman Rockwellは、20世紀アメリカのイラストレーターである。

「わたしが持っているものといったら絵を描く能力くらいで、それが自分の全てである以上、それを自分の生涯にしようとした」と語った、ウルトラ・テクニシャンの画家である。

この作家の作品を選んだのは、マンガ学科の学生グループであった。十人程度の学生が扮装をして写真を撮り、一人が一枚の画像にまとめた。
力作ともいえるが、なぜか私はこのなりすましの作品から発見する内容が少ない。つまり、あまり成功しているようには思えない。なぜだろうか。

たしかに、帽子をかぶったり、スカーフをしたり、小道具をそろえるなど工夫をしている。
しかし、根本的に、見ている人に伝わらないのは、「表情」である。ロックウェルのコミカルで、演劇的ともいえる表情の、誇張された大きさが、なりすましでは弱すぎるのである。というか、ロックウェルのコミニケーション力の強さの真骨頂がそこにあるのだと発見すべきであろう。

これを見ながら、アニメの実写版が成功しないことを思い出した。「こち亀」とか「サイカノ」とか無数にあるアニメの実写版には、酷評しか与えられたためしがない。
それは、二次元の世界で純化された視覚要素が、三次元の実世界になることで無数の不要な視覚要素で乱されることで、伝達力が致命的に弱くなるからである。「エヴァ」や「けいおん」の実写版を作ってほしくないと考えるのは、私だけではないと思う。

学生作品 岸田劉生「麗子像」

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岸田劉生の「麗子像」、詳しく引用するなら、重要文化財≪麗子像≫1921年、東京国立博物館である。


下に書いた黒田清輝の「湖畔」と同じく、私にとって昔から奇妙に感じていた絵である。


岸田劉生というのは、日本の美術史に残る洋画家なのだが、その人生は38才という短い。自分の娘、麗子を描いた多くの絵がある。愛する娘をどうしてこうまで気味悪く描くのであろう。

なりすましの顔と比較してみても、プロポーションがまったく奇妙である。横方向だけ間違えて引き延ばしたような、まるでツタンカーメンの彫刻のようだ。

下の右の絵も岸田の麗子(林檎を持てる麗子,1919)だが、普通のかわいらしい?女の子である。

しかし、左の絵(野童図)はとんでもなく気味悪い。もっとも、この絵は寒山拾得にみたてたものだというから、普通の肖像ではないのかもしれない。


なんでこんな気味の悪い顔に描き、それに満足したのだろうか。それに、右の絵があまりに普通で魅力に欠けるのに対して、野童図の気味悪い魅力はなんだ。

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誰かの顔を描いていながら、どうしてこんなに違った顔になるのだろうか。顔を描くという単純な行為でありながら、何を描くのか、その多様性さを読み解くことがここでの鍵となる。


学生作品 バルチュス「テレーズ」

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20世紀最後の巨匠と言われる、バルチュス(Balthus)の『テレーズ(Thérèse)』である。

バルチュスというのは、ときに、どきっとするほどエロティックな絵を描いて物議を起こす画家である。この画家の少女に対する危ないエロスについて語るには、私は今少し勉強不足だ。

この学生はテレーズの若いエロスをどう感じたのであろうか。
足の組み方が逆だが、意識的なのか?オリジナルの組み方の方が足が大きく開く。それに抵抗を感じたとすれば、そんなところにも絵を読み解くヒントがあるかもしれない。

もう一つ言えば、この美大の学生たちが躊躇して踏み越えることのできない、エロスという人間の本質へのアプローチが隠れている。この学校はけっして挑発的にはならない・なれない、保守的な場である。